那覇市の与儀公園には、本物の蒸気機関車「D51 222」が静態保存されています。現在は良好な保存状態を保つため柵が設置されており、その雄姿を外から眺めることができます。鉄道のない沖縄で本物のSLを間近に見学できる場所は極めて稀で、非常に貴重な歴史的遺産です。本記事では、このデゴイチが歩んだ歴史や現在の見どころ、訪問時のポイントを詳しく解説します。
与儀公園に鎮座するD51 222の基本情報と歴史
沖縄県那覇市の中心部に位置し、市民の憩いの場として親しまれている与儀公園内には、D51 222という形式の蒸気機関車が静態保存されています。
この巨大な車体は、1938年(昭和13年)に製造されて以来、長年にわたって九州地方を中心とした広範囲な路線で、物資や人々を運ぶために力強く活躍し続けてきた歴史を持っています。
かつての沖縄には「ケービン」の愛称で親しまれた軽便鉄道が存在していましたが、沖縄戦という激動の時代を経て、鉄路のほとんどが失われてしまったという悲しい背景があります。
戦後の長きにわたり、鉄道の走らない環境が続いていた沖縄において、本物の蒸気機関車は人々の憧れの象徴でもありました。このD51 222が沖縄へやってきたのには、主に以下のような背景があったと言われています。
- 本土復帰の記念:復帰の翌年、昭和48年(1973年)友好の証として北九州市から贈呈が計画され与儀公園に設置されました。
- 子供たちへの教育:本物の列車に触れる機会が限られていた当時の沖縄の子供たちに、その迫力を肌で感じてほしいという願いが込められたようです。
- 鉄道文化の継承:かつての沖縄の鉄道史を想起させるモニュメントの一つとして、その役割を担っている側面もあるのかもしれません。
戦後の長きにわたり、鉄道の走らない環境が続いていた沖縄において、本物の蒸気機関車は人々の憧れの象徴でもありました。
そのような状況の中、1972年の沖縄本土復帰を心から記念し、翌年1973年に海を越えて北九州市から沖縄へと贈られたのが、この「デゴイチ」の愛称で親しまれる機関車です。
このプロジェクトには、鉄道の実物を見る機会がなかった当時の沖縄の子供たちに、本物の列車の迫力や重量感を肌で感じてほしいという、教育的かつ温かい願いが深く込められていました。
現在でも、その圧倒的な存在感は色あせることなく、訪れる人々を楽しませるスポットとして、また地域の歴史を伝えるモニュメントとして、地元の方々をはじめ多くの人々に親しまれ続けているようです。
車両のスペックや設置データは以下の通りです。
| 項目 | 詳細内容 |
|---|---|
| 車両形式 | D51形蒸気機関車(D51 222) |
| 製造年 | 1938年(昭和13年) |
| 設置時期 | 1973年(昭和48年) |
| 所在地 | 沖縄県那覇市寄宮1-1-1 (与儀公園内) |
機関車の展示スタイルの変化
かつての与儀公園に鎮座していたD51 222の姿は、現在の静かな佇まいとは趣が異なり、当時は今よりもいっそう活気に満ちあふれていたかのように感じられるでしょう。
鉄道が走っていない沖縄において、重厚な鉄の質感や独特の油の匂いを肌で感じられたこの場所は、まさに「動かない鉄道旅行」を楽しめる唯一無二の聖地となっていたはずです。
しかし、沖縄特有の強い日差しと厳しい潮風にさらされ続けた結果、長年の屋外展示による深刻な老朽化を避けることはできませんでした。
昔は触れる事の出来た車両も損耗を防ぐために、今は高い柵で囲われており、直接触れることは叶いませんが、その分、磨き上げられたデゴイチ本来の圧倒的な重量感と迫力を、少し離れた視点からじっくりと堪能することが可能です。
現在は車両維持の為、地元の保存会や那覇市による懸命なメンテナンス作業が行われており、ボランティアの方々の手によって往時の雄姿が守り抜かれています。
この歴史の証人を未来へと引き継ぐため、私たちは柵越しに、かつて鉄路を駆け抜けた無限のエネルギーに想いを馳せることができるのかもしれません。
~与儀公園にD51蒸気機関車があることを知っていますか?
そして、なぜそこにあるのかを知っていますか?
その歴史は、沖縄が本土復帰した昭和47年(1972年)から始まります。~
観光客に人気!桜の名所としての与儀公園
那覇市民の憩いの場である与儀公園は、重厚な蒸気機関車が鎮座する場所としてだけでなく、沖縄県内でも屈指の「寒緋桜(カンヒザクラ)」の名所として広くその名を知られています。
毎年2月中旬から2月下旬という時期に、本州のソメイヨシノとは趣の異なる、目の覚めるような濃いピンク色の花々が公園全体を鮮やかに彩ります。
桜が開花するシーズンには、重厚な鉄塊である「D51 222」と可憐なピンク色の桜を写真に収めようと、市内外から非常に多くの見物客や観光客が足を運んでいるようです。
小さなお子様連れのファミリーから、静かに花を愛でるシニア世代まで、幅広い世代の人々が都会の喧騒を離れ、思い思いにリラックスした時間を過ごせるような、開放的な空間が広がっているといえるかもしれません。
世代を問わず楽しめる周辺環境と施設
与儀公園の周辺一帯は、那覇市立中央図書館や沖縄県立看護大学といった教育・公共施設が数多く隣接しており、市内でも有数の文教地区としての落ち着いた静かな佇まいを保っているように見受けられます。
D51(デゴイチ)が展示されている公園内には、子供たちが元気に遊び回れる遊具などが設置されており、週末ともなればSLの雄姿を見守るように家族連れで賑わう微笑ましいシーンが、日常の一コマとして定着しているように感じられます。
本物の機関車を間近に感じながら遊べる環境は、子供たちの想像力を育む場所としても、地域の方々に長く親しまれてきました。
また、園内には広大な多目的広場も整備されており、年間を通して地域のお祭りやフリーマーケットなど、季節ごとの多彩なコミュニティイベントが開催される拠点にもなっています。
そのためか、朝夕の涼しい時間帯には多くの市民がウォーキングや散歩を楽しむ定番のコースの一つとして、広く親しまれているようです。
散策の途中に腰を下ろして、圧倒的な存在感を放つ漆黒の鉄の塊「デゴイチ」を眺めながら、穏やかで贅沢な休憩時間を過ごすこともできそうです。
かつて九州の鉄路を力強く駆け抜けた歴史に想いを馳せながら、沖縄の穏やかな風を感じて一息つく時間は、訪れる人々に至福のひとときを与えてくれるでしょう。
鉄道遺産としての価値と未来への継承
四方を海に囲まれ、戦後長らく鉄路が途絶えていた沖縄という土地において、D51形のような大型の本格的蒸気機関車が実物として存在している事実は、全国的に見ても極めて稀で価値の高いものなのでしょう。
このデゴイチは、単に過去の輸送手段を展示している「モノ」としての枠を超えた存在といえるのかもしれません。
戦後の復帰という激動の時代を経て、沖縄と日本本土を固い絆で結んだ友好と希望の証という、非常に重厚な意味を持つ歴史的遺産としての側面も持ち合わせているようです。
しかし、沖縄特有の高温多湿な気候に加え、常に潮風が吹き付ける過酷な塩害環境下で、巨大な鉄の車体を維持し続けることは並大抵のことではありません。
本来であれば瞬く間に腐食が進んでしまう厳しい条件下にありながら、製造から80年以上が経過した今なお、美しく凛々しい漆黒の輝きを保ち続けているのは、那覇市や地域保存会による献身的かつ継続的なメンテナンス努力の賜物に他なりません。
この「D51 222」が、これからも末長く那覇市の誇り高き宝として、また平和と発展を象徴するモニュメントとして適切に管理・保存されていくことが切に願われています。
私たち見学者がこの場所を訪れる際にも、かつての勇姿に敬意を払い、決して車両を傷つけたり汚したりすることなく、決められたルールを厳守して大切に見守るというマナーが、何よりも重要な保存活動の一助となります。
その圧倒的な重量感から放たれる無言のメッセージは、かつて鉄路を夢見た人々の想いを乗せて、これからの未来を担う子供たちへ向けても、力強く歴史を語り継ぐ生き証人として、永遠に輝き続けていくことでしょう。
まとめ
那覇市の与儀公園に鎮座するD51 222は、1973年に贈られた歴史ある蒸気機関車です。現在は柵越しではありますが、その雄姿を静かに見学できる貴重な存在となっているようです。
桜のシーズンには地元民も多く訪れ 親しまれるスポットとなっています。鉄道遺産としての価値を理解しながら ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
あとがき
那覇の街に溶け込み潮風に耐え抜くD51の姿は、展示物以上の強い意志を感じさせます。かつて遊んだ子供たちの記憶を乗せ、今は次世代へ繋ぐ宝として凛と佇んでいます。
鉄道のない沖縄に「本土との絆」を運んだデゴイチは、今も街の歴史を語り継ぐ象徴です。桜舞う季節、鮮やかなピンクに包まれたその勇姿に想いを馳せ、また会いに行こうと思います。


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