今は無き幻の遊園地・かつて那覇市には「新世界」があった!

「那覇市に、昔は遊園地があったらしいよ」と聞いて、すぐにその場所や景色を思い浮かべられる人は、今ではあまり多くないかもしれません。けれど戦後のある時期、現在の那覇市楚辺区域内の西側、城岳(ぐすくだけ)と呼ばれる地域には「新世界」と呼ばれる遊園地が存在していたのです。本記事では、新世界が生まれた背景から、現在の城岳周辺の様子までを、過去と今を行き来しながら、わかりやすく紹介していきます。

第1章 那覇市 城岳に存在した遊園地「新世界」の概要

まずは、新世界がどんな立地に設立され、そこは元々どのような土地だったのかを見ていきましょう。

新世界ができる前の城岳

新世界が誕生する前の城岳(ぐすくだけ。現在はじょうがくと呼ばれています。)一帯は、今のように整った公園や住宅地だったわけではありません。元々の城岳は那覇市街地に近い小高い丘で、見晴らしのよい場所として知られていました。

戦後まもない頃の那覇は、街そのものが復興の再スタートを切ったばかりでした。中心部では再開発が進む一方、城岳周辺には空き地や使われていない土地が点在していました。

「街に近いけれど、まだ何色にも染まっていない場所」──そんな城岳の性質が、のちに遊園地を迎え入れる土台になったのです。

新世界という遊園地の誕生

そんな城岳の高台に1951年9月、満を持して登場したのが「新世界」と名付けられた遊園地でした。当時の新聞やその他の資料を見ると、城岳の新世界という名前で娯楽施設が紹介されています。一時的なイベントではなく、常設の遊園地です。

戦後間もない沖縄、なかでも激しい戦火にさらされた地の一つでもある那覇では、子供と大人が一緒に気軽に楽しいひとときを過ごせるような娯楽は決して多くありませんでした。

そんな中で街の近くに遊園地ができたことは、多くの人にとってちょっとしたニュースだったはずです。新世界は、城岳という場所を活かしながら、戦争を生き抜いた那覇の人々に「遊ぶ楽しさ」を届けていたのです。

第2章 新聞資料から見える 新世界で楽しまれていた娯楽

では、新世界では実際にどんな遊びが楽しめたのでしょうか。当時の資料を参考に見てまいります。

新世界に設けられていた遊具

新聞記事や広告を見ると、新世界にはいくつもの遊具名が並んでいます。まず目を引くのが、遊園地の定番ともいえるメリーゴーランドです。

円を描くようにゆっくり回るこの遊具は、大人も子どもも思わず見入ってしまう存在だったことでしょう。

また、線路の上をコトコト走る豆汽車も人気だったようです。小さな汽車に乗る体験は、当時の子どもたちにとって、ちょっとした冒険だったであろうことが伺えます。

ほかにも、電気豆ハイヤー廻転飛行機といった乗り物系の遊具が確認されています。「動くものに乗る」こと自体が、子供たちに特別なワクワク感を与えていた、そんな時代だったのでしょう。

常設されていたのは遊具だけではなかったようです。小動物園や映画演劇場、その他にも食堂や売店なども備え、決して大規模とは言えないながらも一般的な遊園地らしい設備が整えられていました。

子供だけでなく、大人も一緒になって憩いのひとときを楽しめる、そんな場所だったであろうことは想像に難くありません。

~『那覇市槪観』(那覇市)を調べてみると、「沖縄文化興行株式会社が城岳の丘上に2,090坪の敷地を選定し、500万円の工費を投じて1951年9月に遊園地『新世界』を店開き。飛行塔、小型観覧車、子供ハイヤー、二連スキングス、メリーゴーランド、木馬などが設備」という記述がありました。当時は学校にも満足な遊具はなかったはず。さぞ遊園地が楽園だったに違いありません。~

琉球新報

シンプルだからこそ楽しい

今の大型テーマパークと比べると、設備は決して派手ではありません。しかし、だからこそ新世界は身近で気軽に楽しめる場所だったことでしょう。

現代の視点から見ればシンプルに見える遊び、でもそれが日常を少しだけ特別にしてくれる、新世界とはそんな空間だったのだろうと思われます。

項目 内容
名称 新世界
所在地 沖縄県那覇市 楚辺
主な娯楽設備 メリーゴーランド、豆汽車、蓄電池式豆自動車、模型飛行機、モーターボート、スケート
特徴 戦後那覇市内に誕生した常設型遊園地

第3章 新世界という名前が映し出す時代の空気

ここでは、「新世界」という名前そのものに注目してみましょう。20世紀初頭あたりから各地で見られたこの名称、戦後間もない沖縄とってどのような印象を与えるものだったのでしょうか。

各地で使われた「新世界」という言葉

日本各地では、近代以降、「新世界」という名前が繁華街や娯楽エリアに使われてきました。どこかワクワクして、これから何かが始まりそうな響きがあるように思えます。

おそらく那覇の新世界もそんな期待感を背負った名前だったのでしょう。つらい経験を経て新たなスタートを切り始めた沖縄、その中にある遊園地という非日常の場所に「新世界」というネーミングは、とても相性がよかったのではないでしょうか。

戦後沖縄と新しい楽しみ

戦後の沖縄は、暮らしも街も、すべてが作り直されている途中でした。そんな時代だからこそ、人々は「新しい楽しさ」を求めていたのでしょう。

新世界という名前は、単なるネーミングではなく、当時の希望や前向きな空気を映した言葉だったのかもしれません。

第4章 新世界があった頃の城岳と那覇の街

さて、新世界を取り囲んでいた那覇の街は、当時どのような様子だったのか見てみましょう。

城岳という場所の魅力

城岳は那覇の中心部から近く、少し高い場所にあります。当時は現在のような高層の建築物はありませんでした。遮るもののない城岳の高台からは、国際通りや国道58号線、その先にある那覇港まで見渡せたことでしょう。

そんな景勝地とも言える立地は人が集まりやすく、遊園地にはぴったりだっただろうと思われます。街のすぐそばにありながら、日常から少しだけ離れられる。その距離感が、新世界の魅力のひとつだったのでしょう。

復興期の那覇の中で

戦後の那覇は、住む場所や働く場所を整えることで精一杯の時代でした。当時の写真や映像などを見ると、道路の舗装も充分には行き届いておらず、しっかりした造りの家屋も少ない、そんな様子でした。

そんな中で、新世界は「ちょっと息抜きできる場所」として、街に彩りを加えていました。

第5章 新世界が姿を消し 街が変わる

やがて時代が進み、那覇の街は大きく変わっていきます。それに伴って、新世界もその役割を終える時が来たのです。

新世界の閉園

那覇市の都市化が進むにつれ、那覇の街はどんどん発展を遂げていきました。そんな時代の流れの中で、いつしか新世界は役目を終え、静かに姿を消しました。記録では1961年に閉園となっています。

その頃は発展していくにつれ、那覇市の所々に人々の憩いの場となるスポットが続々登場していった時期です。おそらくそういった影響で、新世界への客足が次第に少なくなり、最終的に閉園という流れとなっていったのではないでしょうか。

遊園地がなくなったのは寂しいことですが、それもまた街が成長した証といえるのではないでしょうか。

役割を受け継いだ那覇市内の屋上遊園地

新世界が消えたあとも、近隣の国際通りをはじめ那覇市内に続々開店していった大型デパートには屋上遊園地が作られ、新たな時代の人々の憩いの場となりました。そうやって新世界が担っていた役割は、新たな遊園地へとバトンタッチされていったのです。

第6章 現在の新世界跡地と 城岳周辺のいま

かつて沖縄の人々、とりわけ地元の那覇市民に親しまれていたであろう新世界、その跡地と周辺の様子はどうなっていったのでしょう。現在の城岳に目を向けてみましょう。

城岳公園としての現在

現在、新世界があった場所は城岳公園として親しまれています。緑に囲まれた園内では、散歩をする人や、ひと休みする人の姿が見られます。

県庁・国際通りとの近さ

城岳公園のすぐ近くには、沖縄県庁国際通りがあります。行政の中心と観光のにぎわい、そのすぐそばに城岳があることを考えると、この場所がいかに街の中心に近いかがわかります。

そんな場所に、かつて遊園地があった──そう思い浮かべると、今見ている風景にほんの少しノスタルジックな憩いの雰囲気が重なり、違った景色が見えてくるのではないでしょうか。

まとめ

新世界は、戦後の那覇市城岳に存在した遊園地でした。まだ街に余白があった時代、その空間に生まれた新世界は、多くの人に笑顔を届けてきました。

今は城岳公園として姿を変えていますが、その場所には確かに、那覇の歴史と人々の思い出が重なっています。城岳を歩くとき、ほんの少しだけ昔の新世界を思い浮かべてみてください。

あとがき

「新世界」閉園後に生まれた筆者は、この遊園地を訪れたことはありません。しかし、現存する当時の国際通り周辺の画像や映像を通して、当時のノスタルジックな情緒に思いを馳せる中、ここに遊園地もあったんだ、と思うとワクワク感が掻き立てられます。

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