今の若者が聞いたら驚くかもしれませんが、1980年代の沖縄の卒業式といえば、感動の涙をすべて真っ白に塗りつぶす「小麦粉の嵐」が定番でした。厳かな式典が終わった瞬間、男子も女子も制服のまま小麦粉と卵まみれになり、笑いながら別れを惜しんだものです。筆者である私自身も、当時は頭の先から足元まで真っ白になり、卵でパリパリに固まった制服で帰宅して親に呆れられた一人でした。本記事では、筆者の実体験も交えながら、今も胸に刻まれている「真っ白な青春」の記憶を紐解いていきます。
厳かな式典から一変!沖縄式卒業式の幕開け
1980年代当時の沖縄でも、体育館で行われる卒業式そのものはいたって厳粛な雰囲気で進行されました。私の学校では卒業の歌を事前に、3年生全員で話し合って選曲し、何度も練習を重ねたものです。本番で歌う時には、多くの生徒が3年間の思い出を振り返り、涙を流す光景が見られました。
しかし、式が終わり一歩外へ出ると空気は一変します。まずは後輩たちから心のこもった花束や、お菓子のレイが贈られる微笑ましいスタートでした。ここまでは全国共通の光景かもしれません。
- 伝統の選曲:当時の3年生が自分たちの思いを込めて曲を熱心に選びました。
- 涙の合唱:厳かな式典のクライマックスは、涙ながらの素晴らしい合唱でした。
- 後輩の祝福:校門までの道筋は、後輩たちからの花束で埋め尽くされました。
しかし、花束を受け取った直後、本当の「イベント」が始まります。誰からともなく取り出されるのは、隠し持っていた「小麦粉」と「卵」、そして、容赦ない水の洗礼が待っていました。
私の時も、花束に隠してこっそり持ち込んだ粉の袋が、開始の合図とともに一斉に宙を舞いました。さっきまで式典で号泣していた友人が、一瞬で真っ白な怪人のように変身する姿を見て、悲しみは吹き飛びます。
現場は一気に爆笑の渦へと飲み込まれていきました。体育館での静寂が嘘のような、まさに嵐の前の静けさだったのだと痛感する熱狂の幕開けでした。
小麦粉と卵の嵐!白く染まる制服と最高の笑顔
ひとたび小麦粉が舞い始めると、運動場は視界が遮られるほどの白銀の世界に変わりました。最初は逃げ回っていた生徒たちも、すぐに諦めて自らその嵐の中に飛び込んでいきました。
男子も女子も関係なく、制服はあっという間に真っ白になり、卵が加わることでまるで天ぷらの衣のようになっていったのです。
先生方は事前に「絶対にやるな」と注意はしていますが、いざ大騒ぎが始まると「しょうがないなぁ」という表情で、安全を見守りながら笑って見ていました。
| アイテム | 使用目的 | 仕上がり具合 |
|---|---|---|
| 小麦粉 | 視覚的なインパクトと祝福 | 真っ白な粉まみれ |
| 生卵 | 粘着力を高める(?)トッピング | ドロドロの衣状態 |
| 水 | 粉を固める仕上げのシャワー | 重みを増した記念の重圧 |
私も経験者として言わせていただくと、この「ドロドロ状態」は決して不快なだけではありませんでした。むしろ、仲間と同じ汚れを共有することで、言葉では言い表せない一体感が生まれました。
髪の毛にこびりついた卵が太陽で乾き始めると、異様な臭いが漂ってきますが、それさえも「青春の香り」として笑い飛ばせる強さが当時の私たちにはありました。この無礼講とも言える大騒ぎが、学校という檻から解き放たれる最高の儀式だったのです。
先生ありがとう!感謝を込めた小麦粉アタック
この過激なイベントは、単なる悪ふざけではありませんでした。実は、人気のある先生ほどターゲットになりやすかったのです。卒業生たちは「3年間ありがとう!」という感謝の言葉とともに、大好きな先生に小麦粉や卵を投げつけていました。
先生たちも、真っ白に汚れながら「こらー!」と追いかけっこをしたり、最後には一緒に写真を撮ったりしました。生徒と教師の距離がとても近く、固い絆があったからこそ成立していたコミュニケーションだったのかもしれません。
- 恩師への洗礼:感謝の気持ちが強いほど、粉の量も増えるという不思議なルールでした。
- 先生の反応:怒るどころか、どこか誇らしげに粉まみれの姿をさらしていました。
- 心の通い合い:粉だらけのまま交わす握手が、何よりも力強い別れの挨拶でした。
厳しい生活指導のあとに見せる先生の優しい笑顔が、卒業生たちの心に深く刻まれました。 私も当時、一番お世話になった担任の先生の背中めがけて、渾身の力で小麦粉を投げたことを覚えています。
真っ白になった先生が「お前ら、一生忘れんぞ!」と笑いながら、粉だらけの手で私の頭をくしゃくしゃに撫でてくれたあの瞬間、厳しい指導もすべて愛情だったのだと確信しました。
校則には厳しかった先生が、この時ばかりは教え子たちからの「真っ白な感謝」を全身で受け止め、誰よりも嬉しそうに目を細めていた姿は、今思い出しても胸が熱くなる最高のラストシーンでした。
悲しさと笑いが入り混じる「いい時代」の記憶
運動場での大騒ぎが終わると、粉と卵で重くなった制服の感触とともに、「本当に卒業なんだ」という実感がじわじわと湧いてくるものでした。さっきまで大爆笑していたのに、粉まみれの顔のまま抱き合って号泣するカオスな光景が沖縄のあちこちで見られました。
現代では清掃や安全面から姿を消した文化ですが、当時の私たちにとっては、これが精一杯の「自分たちらしい別れ」の形でした。後片付けは大変でしたが、真っ白に汚れた制服は、仲間と全力で駆け抜けた3年間の勲章のように思えたものです。
大人になった今でも当時の集合写真を見ると、誰が誰だか分からないほど真っ白な顔をした仲間たちが輝いて見えます。あの日、粉まみれの手で交わした固い握手や、目に入った粉を拭いながら語り合った将来の夢などのすべてが、今の私を支える大切な原動力になっています。
非常識と言われればそれまでですが、損得抜きで笑い合えたあの「いい時代」の熱気は、何年経っても色褪せることはありません。青春の汚れは、心に刻まれた一番綺麗な思い出なのです。
小麦粉から「お菓子のレイ&巨大バルーン」へ!進化した祝福の形
1980年代に猛威を振るった小麦粉文化が禁止されると、沖縄の卒業式は新たな「祝福の形」へと進化を遂げました。その代表格が、キャンディやチョコを繋ぎ合わせた「お菓子のレイ」でした。
ハワイの生花レイを贈る習慣が、移民文化を持つ沖縄で独自にアレンジされ、今では「首が回らなくなるほどの量」で慕われている証を示す、微笑ましい光景となりました。
さらに近年、女子高生たちの間で熱狂的な支持を集めているのが、名前入りの「特大バルーン」や、手作りの巨大メッセージボードです。かつて粉まみれになって、「派手に目立つ」ことで別れを惜しんだエネルギーは、今ではSNS映え抜群なクリエイティブな演出へと姿を変えています。
形は変われど今の世代もまた、自分たちのスタイルで「一生忘れない最高の門出」を全力で演出しています。周囲の目も気にせず、大切な人のためにエネルギーを爆発させる沖縄の気質は、令和の女子高生たちにもしっかりと受け継がれているようです。
~まず、「高校の卒業式の定番イベント」について聞いたところ、1位は「当日の写真撮影」(75.7%)、2位は「寄せ書き(色紙、ノート、卒業アルバム等)」(73.9%)、3位は「黒板アート(寄せ書き含む)」(48.7%)、4位は「手紙をもらう・あげる」(41.7%)、5位は「合唱」(40.9%)となった。
ラインナップ自体は昔からの定番と変わらない印象だが、スマホで手軽に撮影したりシェアしたりが当たり前になったことで、「当日の写真撮影」がトップとなったと考えられる。
また、普段は校則でスマホの携帯を禁止している学校でも、卒業式のみOKとしているケースがあり、調査内でも「最初で最後の大々的にスマホ撮影を楽しめる機会なので、盛り上がりたい」という意見が見られた。~
一生に一度の門出を全力で盛り上げようとする、沖縄らしい熱いサービス精神は、令和の若者たちにもしっかりと受け継がれています。
まとめ|色褪せない真っ白な思い出
1980年代の沖縄の卒業式は、厳かな式典と、その後の小麦粉・卵の嵐という強烈な対比で成り立っていました。生徒も先生も一緒になって粉まみれになる姿は、当時の大らかな沖縄の空気感を象徴しています。
今の時代にはそぐわない面もありますが、あの騒ぎの中で感じた友情や感謝の気持ちは、今でも私の心に鮮明に残っています。単なる迷惑行為ではなく、卒業の寂しさを笑いに変えて吹き飛ばそうとした、優しくて激しい「いい時代」の象徴でした。
真っ白になった制服を洗いながら、親に叱られた記憶さえも、今では愛おしい思い出です。あの日の笑顔は、これからもずっと色褪せることはありません。

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