沖縄の街並みを歩くと、古いアパートや住宅の屋上に、巨大なプラスチックやコンクリート製の水タンクが設置されているのを見かけることがあります。初めて沖縄に来た人にとっては、これは少し不思議な光景かもしれません。なぜ、沖縄の家にはあんなに大きな水タンクがあるのでしょうか?その答えは、「昔の沖縄では、断水が日常だったから」という歴史にあります。
昔の沖縄「断水」は日常だった
かつて沖縄は、渇水期や台風の後に水源が枯渇し、給水制限や大規模な断水がたびたび発生していました。
特に深刻な時代には、「隔日給水」といって、一日おきにしか水が出ないという厳しい状況が続きました。水が出る日の夜間に必死で水を溜める光景は、当時の沖縄の日常でした。
- 水が出る日に翌日分の水をタンクに溜めておくことが、生活を維持するための絶対条件でした。
- 水タンクは、断水時にもトイレや調理などの最低限の生活用水を確保する上で不可欠でした。
- タンクの有無が、断水時の生活の質を大きく左右するため、住民の自衛策として広く普及したのです。
屋上の水タンク、つまり高架水槽の存在は、沖縄の過去の水不足の深刻さを物語る象徴です。人々は、いつ水が止まるかわからない不安と常に隣り合わせの生活を送っていました。
しかし、現在の沖縄では、あの頃のような長期間にわたる大規模な断水はほとんど起こりません。水道インフラの整備が進み、安定供給が実現したからです。
では、なぜ昔の沖縄はそんなに水に苦労したのでしょうか?そして、安定供給が実現した今、水タンクは本当に不要になったのでしょうか?この記事で、沖縄の「水とタンク」の歴史をひも解いていきましょう。
水タンクはなぜ必要だったのか沖縄の地形と水事情
沖縄が長期間にわたって水不足に悩まされてきた背景には、特有の地理的・地質的要因が深く関わっています。
沖縄の年間降水量は全国平均をうわまってますが人口密度が高いため、一人当たりの雨量は全国平均の6割り程です。その雨を貯めておくのが難しい土地の構造を持っています。
この自然条件が、家庭での水タンクの必要性を高めました。
沖縄の水不足の主な原因は、次の三点にあります。
- 地質が琉球石灰岩: 沖縄本島の大部分は、サンゴ礁が隆起してできた琉球石灰岩で覆われています。この石灰岩は水を通しやすいため、降った雨水がすぐに地下へ浸透したり、海へ流出してしまったりして、地表に水が溜まりにくいのです。
- 河川が短く急峻: 本土に比べて河川の長さが短く、流れも急なため、大量の雨が降ってもすぐに海へ流れ出てしまい、安定した水源になりにくいという特徴があります。
- 降水量の偏り: 年間降水量は、その大半が梅雨や台風の時期に集中しており、夏場や冬場には極端に雨が少ない「渇水期」が発生しやすいのです。
そのため、水道本管の水圧が低い時や、水源の貯水率が下がって断水が実施された時に、家庭で確実に水を使うために屋上の水タンクが不可欠な設備となったのです。水タンクは、不安定な水供給に対する沖縄の人々の知恵と努力の結晶と言えるでしょう。
~沖縄は亜熱帯気候であり、年間の降水量も多い地域ですが、沖縄の河川は本土の河川と比較して短く、
勾配が急であるという特徴を持っています。なので、たくさん雨が降ってもすぐに海に流れてしまいます。~
断水が続いた時代水不足との戦いの歴史
沖縄の断水の歴史の中でも、特に深刻だったのが1981年から1982年にかけて発生した「326日連続の給水制限」です。
これは、戦後最長となる給水制限であり、県民の生活に多大な影響を与えました。この時期には、給水制限が隔日断水(一日おきに終日断水)にまで及び、水を得るための苦労は想像を絶するものでした。
当時の沖縄県企業局による記録や報道によると、この大規模な渇水期には、住民は水の確保のためにあらゆる手段を講じました。水タンクの水を大切に使うのはもちろんですが、給水車に並んだり、水を求めて遠方まで出かけたりすることも日常でした。
- 断水が長引いた時期には、自衛隊による人工降雨作戦が実施されるなど、行政も危機的な状況に追い込まれました。
- 病院では、人工透析などの医療行為に使う水の確保に奔走するなど、命に関わる問題も発生しました。
- 各家庭では、お風呂や洗濯、洗車など、あらゆる場面で水の再利用と節約が徹底されました。水の貴重さが骨身にしみていました。
沖縄県企業局の資料には、「1981年7月16日から隔日断水が実施され、県民生活に大きな影響を与えた」と記されています。
この時期の経験は、沖縄の戦後史における重要な記憶として、今も断水経験者によって語り継がれています。水タンクは、この「水との戦い」の時代を象徴する、まさに「生活の守り神」だったのです。
断水の危機を乗り越えた安定供給への道のり
「沖縄=断水」というイメージを過去のものにしたのは、国と県による大規模な公共事業とインフラ整備でした。
1972年の本土復帰後、沖縄の抜本的な水問題解決に向けた取り組みが本格化し、数十年にわたる努力によって、現在の安定した水供給が実現しました。その鍵となったのは、「貯める」「運ぶ」「つくる」の三つの対策です。
沖縄が実施した主な水資源確保の取り組みは以下の通りです。
- 「貯める」:福地ダム、石川ダムなど、貯水容量の大きい大型ダムを複数建設し、降雨を効率的に蓄える能力を大幅に強化しました。
- 「運ぶ」:県内の水源と浄水場を繋ぐ広域水道システムを整備し、一部地域で水不足が起きても、他の水源から水を融通し合えるネットワークを確立しました。
- 「つくる」:降雨に頼らない水資源として、海水淡水化施設を導入し、特に渇水が深刻な時期の予備水源を確保できるようにしました。
特に広域水道の整備は、水資源の配分を県全体で最適化することを可能にし、特定のダムの貯水率が低下しても、以前のような「全島的な大規模断水」を回避する決定的な要因となりました。
これらの取り組みの結果、沖縄県企業局は平成6年(1994年)3月1日以降、現在に至るまで連続給水を続けており、沖縄の水道インフラは大きく進化を遂げました。
「断水のない沖縄」は、多くの関係者の尽力と、過去の苦い経験から学んだ教訓の賜物なのです。
今はなぜ水タンクが不要になったのか未来への課題
安定した給水が30年以上続く現在の沖縄では、昔ながらの巨大な水タンクは新しい建物にはほとんど設置されていません。
その最大の理由は、水道本管の水圧と供給量が安定し、各家庭の屋根まで十分な水が届くようになったからです。高架水槽は、水道圧が不安定だった時代の名残と言えるでしょう。
しかし、水タンクが完全に無くなったわけではありません。特にマンションなどの大型集合住宅や病院、ホテルなどでは、今でも受水槽や高架水槽が設置されています。
その役割は、昔の「断水対策」から「水圧調整」や「災害対策」へと変化しています。
- 地震などの災害時に一時的な生活用水を確保する役割が、現在の受水槽にはあります。
- マンションなどの高層階でも安定した水圧で水を使うための、ポンプアップ設備として機能しています。
- 水道事業者は、安定供給を維持するため、漏水防止やダム貯水量の適切な管理を続けています。
水タンクの歴史は、私たちに水の貴重さを教えてくれます。安定供給が当たり前になった今だからこそ、水の大切さを忘れず、水資源を未来へつなぐ努力を続けていくことが、沖縄に住む私たち全員の使命です。
まとめ
沖縄の屋根に設置された水タンクは、かつて断水が日常だった時代の名残であり、住民の生活を守るための重要な自衛策でした。この水不足の背景には、水が溜まりにくい琉球石灰岩の地質や河川の短さといった沖縄特有の地理的要因がありました。
この安定化により、昔ながらの大きな水タンクは姿を消しつつありますが、水資源の有限性は変わりません。過去の苦労が教えてくれた「水の大切さ」を胸に、節水や水資源保全を通じてこの安定供給を未来永劫守っていくことが、今の私たちの重要な課題です。
あとがき
かつては「水が出る日に水を溜める」という生活が、沖縄では日常でした。
その苦難があったからこそ、私たちは水を大切にするという思いがあると思います。
屋根の水タンクを見つけた時は、立ち止まって眺めて沖縄の断水の歴史を思い出してみてください。

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