旧暦12月8日、沖縄の家々に月桃の香りがただよい、子どもたちがムーチー(鬼餅)を頬張る季節がやってきます。健康を願う冬の行事として知られていますが「なぜ“鬼”なの?」と首をかしげた人も多いのでは。実はその背景には、南城市大里に伝わるちょっと切ない鬼の伝説が隠れているのです。
第1章 : ムーチーとは?旧暦12月に食べる“鬼餅”の由来
沖縄の冬を語るなら、やっぱりムーチーを外すわけにはいきません。旧暦12月8日(新暦では1月ごろ)、県内の台所では朝から蒸し器の湯気が立ちのぼり、月桃(サンニン)の葉のさわやかな香りが家中に広がります。
ムーチーは家族の健康や長寿を願って食べる行事食で、ムーチービーサ(鬼餅寒)と呼ばれるように、寒さが本格化する時期に食されます。冷たい風が吹く中で、温かいムーチーを食べるのが、沖縄の冬の風物詩なのです。
「鬼餅」の“鬼”はどこから来た?
さて、ここで気になるのが「鬼餅」という名前です。どうしてお餅に「鬼」なんて物騒な字を使うのでしょう?
実はこの言葉の背景には、沖縄南部・南城市大里に伝わる「大里鬼(うふざとうに)」という伝説が関係しています。この昔話は、仲の良かった兄妹のうち、兄が“鬼”になってしまい、妹がそれを退治するという悲しい鬼退治物語です。
ムーチーを食べる行事は、この物語で妹が“鬼になった兄”を退治するために餅を使ったことに由来するとされます。つまり、ムーチーは単なるお菓子ではなく、「悪霊や災いを払い、家族を守るおまじないの餅」なのです。
第2章 : 大里鬼伝説──妹が鬼になった兄を討つ悲劇の物語

ムーチーのもとになった“大里鬼伝説”とは、どんな物語だったのでしょうか。次の章で、その全貌をのぞいてみましょう。
仲の良かった兄妹、それぞれの道へ
むかしむかし、首里の金城村に、とても仲の良い>兄妹が暮らしていました。兄は優しく面倒見がよく、妹も兄を慕っていましたが、やがて妹は縁あって久高島へ嫁ぐことになります。
別れの日、おそらく兄は寂しさをこらえながら妹を送り出したのでしょう。しかしその胸の内には、ぽっかりと大きな穴があいたのかも知れません。
妹が島へ渡ったあと、兄は大里村へ移り住みます。しかし、孤独は彼の心を静かに蝕んでいたのでしょうか。
彼の姿は次第に鬼へと変わり果てて、やがて村人や家畜を襲うようになったのです。人々は恐れおののき、いつしか彼を「大里鬼」と呼ぶようになりました。
鬼と化した兄との再会
兄が鬼になったという噂を耳にした妹は、信じられずに涙しました。兄がそんな恐ろしいことをするはずがない──、けれど確かめずにはいられません。妹は決意を固め、兄の住むという洞窟へと向かいます。
薄暗い洞の中で、妹はとうとう兄と再会します。しかし、そこにいたのはもう昔の優しい兄ではありませんでした。鬼という呼び名そのものの姿だったのです。
妹は恐怖に震えながらも、かつての兄の面影を探します。しかし、そんな期待とは真逆の光景を目の当たりにしてしまいます。住居の中で煮立っている鍋の中の食材が人肉であることに気づいたのです。
すぐにこの場から逃げなければ、と思ったのでしょう。妹は咄嗟に「少し用を足したい」と言って外に出ようとします。しかし鬼は警戒して縄で彼女の手首を縛り、逃げようとしてもわかるよう縄の片端を掴んだ状態にします。
妹の知恵と「真手川(まてがー)」の由来
しかし妹は冷静でした。外に出ると、そっと縄をほどき、近くの岩に結びつけてその場から逃げ出します。
しばらくして、兄はなかなか妹が戻ってこないのを不審がって様子を見に行くとそこに妹の姿はなくかわりに岩が結びつけられていました。「逃げたな!」と叫び、鬼は全力で妹を追いかけます。
妹が逃げ、兄が「待て!」と叫びながら追いかけたその場所は後に、真手川(まてがー)という地名で呼ばれるようになったと伝えられています。
鉄釘を仕込んだムーチー──妹の最後の作戦
命からがら逃げ延びた妹は、兄を止めなければこの先も人々に危害が及ぶと悟ります。悲しみと覚悟を胸に、妹は鬼退治の策を巡らせました。
そして、兄の大好物が餅であることを思い出した妹は、兄に鉄釘を仕込んだ餅を食べさせ、苦しんでいる隙に退治する作戦を立てました。
ある日妹は兄を訪ね「見晴らしの良い場所で一緒に餅を食べましょう」とピクニックへと誘い出します。そして二人は眺めの良い崖の上で餅を食べはじめます。
自分の食べる分は普通の餅、兄に食べさせる餅は鉄入り、そのように妹は、あらかじめ餅を作り分けていました。
そうとは知らない兄は嬉しそうに餅を口へ運びます。しかし、鉄入りの硬い餅にまったく歯が立ちません。
一方、妹は平然と餅を食べ続けます。鬼は驚いて、「お前はどうして平気なんだ!」と叫びます。すると妹は着物の裾をたくし上げ、大股をあらわにしながら言いました。「上の口は餅を食べる口、下の口は鬼を噛み殺す口さ」。
その迫力に鬼は戦慄します。なにしろあんなに硬い餅を平気で食べる妹です。妹を食べようと企てていた自分を逆に食べてしまうに違いない、そのように思ったのでしょう。
兄は恐怖のあまり慌てふためき、その隙をつかれてとうとう妹に崖から突き落とされてしまいました。
鬼が倒され、平和が戻る村
こうして兄は谷底で息絶え、人喰い鬼がいなくなった大里村には再び穏やかな日常が戻りました。
この物語が後世、ムーチーの由来として語り継がれ、大里鬼が退治された旧暦12月8日に鬼餅を食べる風習の始まりになったとされています。
第3章 : 伝承の舞台を歩く──大里グスクと鬼の遺跡たち

大里鬼の物語の舞台は、現在どのような様子になっているのでしょうか、見ていきましょう。ムーチーの日に由来のスポットを訪ね、おいしいムーチーに舌鼓を打つひとときは、きっと物語の味わいも深めてくれることでしょう。
兄妹の故郷、首里金城の面影をたどる
大里鬼伝説の物語は、まず首里金城村から始まります。現在の那覇市首里金城町周辺に当たります。
そこは琉球王国時代の風情を残す石畳道や古い家並みが美しいエリアで、まるで時間が止まったかのような落ち着いた雰囲気があります。ここで兄妹は、穏やかな日々を過ごしていたと伝えられています。
いまも首里城近くを歩けば、彼らが見ていたであろう琉球の原風景を感じることができるでしょう。
鬼の住処とされたギリムイグスク
鬼と化した兄が住みついたとされる場所には諸説ありますが、その中で最も有力視されているのが南城市大里にあるギリムイグスク(ギリムイ城跡)です。
周囲は樹々に覆われ、昼でも薄暗く、まるで異界への入り口のような雰囲気があり、いまも不思議な静けさが漂っています。
この地は南城市のシンボルとも言える島添大里グスク(しましーおおざとぐすく)の近隣に位置し、その高台からは中城湾(なかぐすくわん)とその向こう側にある知念半島(ちねんはんとう)を望むことができる景色の美しいスポットです。
第4章 : 「鬼滅の刃」との対極構造──妹が兄を討つもう一つの鬼物語
大里鬼の伝説について振り返ると、大人気アニメ『鬼滅の刃』との奇妙な符号に気づかれる方も少なくないのではないでしょうか。両者の関係性に注目してみると、もしかすると鬼滅の刃大ヒットの理由が見えてくるかもしれません。
兄が鬼を救う物語と、妹が鬼を討つ物語
『鬼滅の刃』では、鬼になってしまった妹・禰󠄀豆子を、兄の炭治郎が救おうとする“救済の物語”が描かれます。
一方、沖縄の大里鬼伝説ではその構図がまったく逆となっています。鬼となったのは兄であり、それを妹が討つ、つまりこちらは“決断と別れの物語”といえるでしょう。
同じ「兄妹と鬼」という設定要素を持ちながら、真逆の方向性を描いている点が実に興味深いところです。
無意識に響く“神話の構造”──ユング心理学の視点から
現代の心理学の礎を築いた学者の一人でもある心理学者カール・ユングは、古今東西の神話には人間の「集合的無意識」が表れると説きました。
大里鬼の物語を振り返ってみるとそこにも、古代信仰の元となる神話を思わせるような要素がいくつか見受けられます。
例えば、兄を退治する際、妹が大股をさらしながら放ったセリフ「上の口は餅を食べる口、下の口は鬼を噛み殺す口」もその一例と言えるでしょう。
世界中の多くの神話では、性的な要素には神聖な力が宿るという考え方があり、妹のセリフもそれに通づるところがあります。
ユングの説に立てば、大里鬼の伝承にも人間の「集合的無意識」に訴えかける神話性があったからこそ、ムーチーという伝統的風習となって後の世まで長く残っているとも考えられるわけです。
~ユングによると、神話は客観的な出来事ではなく、内的な人格からの啓示の象徴です。人間にはすべて、時代や民族や個人的経験を超えた人類共通の「集合的無意識」があり、これが精神活動の基盤をなしているとされます。~
そして『鬼滅の刃』も、大里鬼とは登場人物のつながりや話の展開について、対比という形での関連性がうかがえることから、同じように神話的要素が用いられていると考えられます。
もしかすると、そういったストーリーに秘められた神話性が人類共通の「集合的無意識」に訴えかけ、空前の大ヒットにつながったのかも知れませんね。
まとめ

ムーチーという行事は、単なるお菓子づくりではなく、古代から伝わる鬼退治の記憶を受け継ぐ神話的な儀式でもあります。沖縄に息づく「鬼と人の物語」であり、現代のポップカルチャーとも響き合う深いテーマを秘めています。
ムーチーの香りに包まれながら、今一度、この兄妹の物語に思いを馳せてみませんか。
あとがき
2025年7月から劇場版『鬼滅の刃』最終エピソードとなる、無限城編第一章が公開され、今後、第二章・第三章が公開される予定です。
鬼となった妹を兄が救う物語を鑑賞しながらムーチーを食べれば、似た境遇でまったく違う悲劇に終わってしまった大里鬼の魂も、いくらか癒やされるのではないでしょうか。


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