現在ではもう残っていない沖縄の遊園地、そのひとつが与那原町よなばるちょう)に存在した与那原テックです。華やかなテーマパークではなく、家族の思い出がぎゅっと詰まった場所。本記事では、与那原テックが生まれた背景や当時の姿、人々の記憶に残る理由をたどりながら、昭和沖縄の空気を感じていきます。
第1章|沖縄に遊園地があった時代背景と与那原テックの誕生
昭和の沖縄には、今とはまったく違う暮らしの風景がありました。まずは、与那原テックが生まれた背景から見ていきましょう。
戦後昭和期の沖縄の娯楽事情
当時「出かけること自体が一大イベント」でした。理由はシンプルで、娯楽の選択肢が今ほど多くなかったからです。
戦後から高度経済成長期にかけて、家庭で気軽に楽しめる娯楽は限られており、外へ出て楽しむ場所の価値はとても高いものでした。特に子どもにとっては、非日常を味わえる場所が貴重だったのです。
大型商業施設も少なかった時代
現代のように大型商業施設で一日過ごせる時代ではなかった当時、遊園地の存在は「特別な体験ができる場所」として輝いていました。
家族で出かけるとなれば、前日から楽しみで眠れない。そんな空気感が、沖縄にも確かに存在していたのです。
「家族で行く特別な場所」としての遊園地
遊園地は、単なる遊び場ではありませんでした。誕生日や休日、親戚が集まる日など、特別なタイミングで訪れる場所です。
だからこそ記憶に残りやすく、当時を知る方々にとっては「あの頃、あそこに行ったよね」という会話が、何十年経っても語られるのでしょう。
与那原町に誕生した与那原テックという存在
そんな思い出に残る沖縄の遊園地として挙げられるのが、与那原テックです。人口密集地の那覇市からほど近い与那原町という立地は、無理なく日帰りで行ける距離感でした。
遠すぎず、近すぎない。この絶妙な位置が、地元の人々にとって「ちょっとしたお出かけ先」として親しまれる理由になったと言えるでしょう。
第2章|与那原テックとはどんな遊園地だったのか
与那原テックは与那原町の高台、通称「雨乞い森」に1966年(昭和41年)8月7日、株式会社沖縄テクニランドによって開園しました。
キャッチフレーズは「科学が生んだおとぎの国・総合自動車遊園地」、「テック」の相性で呼ばれ、多くの人に親しまれました。
与那原テックの場所
与那原テックは与那原町の高台(雨乞い森周辺)にあった遊園地です。昭和の沖縄ではまだ珍しかったジェットコースターや観覧車、機関車やケーブルカーなどが配置された、県内では数少ない本格的なレジャー施設でした。
~1966年8月7日 「与那原テック」開園
この日、与那原町の高台、通称雨乞い森に「与那原テック」が開園しました。(株)沖縄テクニランドが「科学が生んだおとぎの国 総合自動車遊園地」をキャッチフレーズに、ジェットコースター、観覧車、機関車やケーブルカーなどの乗り物の揃った施設でした。
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規模感と雰囲気
与那原テックは当時の沖縄では比較的大きな遊園地とされ、県内有数の人気レジャースポットとして知られていました。1968年の「こどもの日」には3万人もの来場者が訪れたという記録もあり、当時の沖縄としては大盛況でした。
与那原テックで遊んだ後は近くの与那原海水浴場へ向かう家族連れも多く、海と遊園地のセットで楽しむスタイルが昭和の夏の風物詩のひとつでした。
当時の乗り物と雰囲気
アトラクションとしては、ジェットコースターや観覧車、小型の自動車遊具などがあったようです。
「科学が生んだおとぎの国・総合自動車遊園地」というキャッチコピーが示すように、こうした乗り物は当時の子供たちにとって「おとぎの国」での冒険のように感じられたことでしょう。
子供たちには遊園地そのものよりも“未来の科学や乗り物の世界”を体験する場としての趣が感じられたのではないかと伺えます。
地元密着型の魅力
与那原テックが特別だったのは、大規模テーマパークのような広さや華やかさではなく「地元の人々が気軽に遊べる遊園地」として機能していたことと言えるでしょう。
子どもたちは学校の遠足や家族のお出かけで訪れ、大人たちはピクニック感覚でひとときを過ごしました。華美な演出よりも、どこか“等身大で温かい空気”が漂っていたのではと思えます。
地元密着型の魅力
そして1986年(昭和61年)頃、与那原テックは閉園します。跡地はゴルフ場に転用され、今は遊園地だった面影はほとんど残っていません。
しかし、当時撮影されたホームビデオ映像などでは、かつて子どもたちの笑顔や家族連れの風景が映し出され、地域の思い出として今も語り継がれています。
第3章|人々の記憶に残る与那原テックという場所
与那原テックが今も語られる理由は、施設そのもの以上に「思い出」にあります。ここでは、人々の記憶に焦点を当ててみましょう。
当時の地元の子どもたちにとっての特別な場所
ジェットコースターに観覧車という、遊園地には定番の遊具が揃っていた与那原テックは、沖縄に初めてできた本格的遊園地と言えるのではないでしょうか。
当時を知る世代の沖縄県民にとって、与那原テックが「初めての遊園地」だったという方も少なくなかったと思われます。遠足や家族のお出かけで訪れた経験は大人になっても色あせず、当時を懐かしむ方も多くいらっしゃるようです。
「与那原テック」という名前をすぐに思い出せなくても、「あそこに遊園地があったよね」と語れる場所、そんな懐かしい行楽地として多くの人々の心に残り続けるスポットと言えるのでしょう。
第4章|与那原テックが姿を消した理由と時代の変化
与那原テックは、ある日突然消えたわけではありません。時代の流れの中で、その役割を静かに終えていきました。
与那原テックが閉園に至った時代背景
与那原テックはすでに閉園し、現在は遊園地としての姿を残していません。閉園に至った具体的な詳細や経緯について、公式記録が多く残っているわけではありません。
そのためはっきりした明確な閉園理由が断定できない部分もあります。ただ、時代の流れによって「営業を終えた」ということなのだろうと察することはできるかと思われます。
レジャーの多様化と社会の変化
時代が進むにつれて、テレビの普及に伴う情報発信などによって娯楽の多様化が進みました。さらに、街そのものの姿も変わっていきます。
それによって遊園地が「唯一の非日常」とは言えなくなり、地域の役割も少しずつ変化していったのでしょう。
「消えた」のではなく「役割を終えた」
与那原テックは、衰退したというよりも、その時代に求められた役割を終えた場所でした。だからこそ、今も人々の記憶に残り続けているのではないでしょうか。
第5章|現在の与那原テック跡地と町の憩いの場
かつて与那原テックがあった場所は、今では遊園地としての姿をほぼ失っています。しかし現在の与那原町にも町民や観光客が集う憩いの場がいくつもあります。
与那原町の憩いの公園とその特徴
与那原テックが無くなって久しい令和現代の与那原町には、町民が日々の散歩やスポーツ、家族との時間を過ごすための複数の公園が整備されています。
たとえば与原公園は住宅街の中にある街区公園で、木陰が多くブランコなど遊具も備わっているため、子どもと一緒に遊びに行くのにぴったりの場所です。
また、与那古浜公園は広々とした芝生広場やトラック、ウォーキングコースが整備されており、朝から夜まで様々な世代が運動や散策を楽しんでいます。
マリンタウン東浜公園(パークゴルフ場)
憩いの場としてもう一つ特徴的なのが、マリンタウン東浜公園・与那原パークゴルフ場です。パークゴルフというスポーツと交流が楽しめる公園で、気軽に体を動かしたい人たちに親しまれています。
ゴルフ場としての与那原テック跡地
かつて与那原テックがあった高台の跡地は、その後マリンタウンゴルフというショートコースのゴルフ場となっています。
現在では与那原テックだった頃の面影はほとんど残っていません。しかし、高台から海や町並みを見下ろしながらプレーでき、とくに夜景を眺めながらのナイターが好評です。
今の与那原町で感じる過去との重なり
令和現在の与那原町は、与那原テックが営業していた昭和の頃とだいぶ風景が変わったのかもしれません。でももしかすると、かつての面影を残している一角も残っているのではないでしょうか。
そういった懐かしさを探しながら、かつて与那原テックがあった周辺の地域を観光してみるのも、思い出と現在が交錯する楽しみが見い出せる旅になるかもしれません。
まとめ
与那原テックは、今はもう存在しない遊園地です。しかし、その価値が失われたわけではありません。
当時を知る方には思い出とともに、当時を知らない世代の方には現存する情報を頼りとした想像力とともに、現在の沖縄を巡り歩く際のテーマになりうる場所と言えるのではないでしょうか。
あとがき
私自身には、与那原テックに行った思い出がありません。もしかすると行ったことがあるのかも知れませんが、当時の私はあまりに幼かったため記憶に残っていないのだと思います。
それでも、与那原の町並みを見下ろす高台にジェットコースターや観覧車などの大型遊具が立ち並ぶ当時の写真や映像をみると、もう存在してないにも関わらず今でも与那原町に足を向けたくなるワクワク感にかられます。

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