首里城を造る宮大工たち!全国の職人が受け継ぐ伝統建築の技

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首里城正殿を造っているのは、いったいどんな人たちなのでしょうか?2026年11月、首里城正殿の復元が大きな節目を迎えます。11月22日に完成式が行われ、翌23日から一般公開が始まる予定です。その木工事を担ってきたのが宮大工たち。沖縄県出身者だけでなく、全国から集まった職人が木材を加工し、柱や屋根などを形にしてきました。本記事では、宮大工の仕事や全国から集まった職人、受け継がれる伝統建築の技に注目します。

首里城正殿を造っているのはどんな人たちなのか

首里城正殿の復元工事は2022年11月に着工し、木工事は2023年1月から始まりました。 2026年5月の報道では、49人の宮大工が木工事に携わり、そのうち16人が沖縄県出身者とされています。宮大工が担ったのは、正殿復元のうち木工事の部分です。

正殿の復元には木工事だけでなく、赤瓦などの瓦工事、塗工事、防災設備、電気など、さまざまな分野の仕事があります。そのなかで宮大工が中心となって担ったのが、木造建築としての骨格や細部を形にする木工事です。木材を加工して柱や梁などの部材をつくり、それらを現場で組み上げ、屋根や軒まわりなどを仕上げていきました。

首里城を支えてきた木材と『木曳』の歴史

首里城と木材の関係は、今回の復元工事だけではありません。琉球王国時代、首里城の造営に使われる木材は『御材木』として本島北部から船で泊港や与那原の港へ運ばれていました。令和の復元では、2022年に国頭村からオキナワウラジロガシを那覇へ運ぶ『木曳パレード』が行われました。

建物を造る職人だけでなく、必要な木材を伐り出し、運んできた人々にも目を向けると、首里城が多くの人の仕事によって支えられてきたことが分かります。

【首里城正殿の復元で重視された3つのポイント】

CHECK 復元に向けて行われたこと
① 過去の姿を読み解く 古絵図や古写真などを分析し、平成の復元後に得られた新たな知見も反映する
② 適した木材を確保する チャーギやオキナワウラジロガシなど、復元に必要な県産木材を調査・確保する
③ 赤瓦を再現する クチャや赤土の調査、配合や焼成試験を重ね、正殿に使う赤瓦を製作する

POINT: 『昔と同じ形にする』だけではなく、資料の再検証や材料の調査・確保まで含めて復元が進められています。

つまり、首里城正殿は一つの職種だけで完成する建物ではありません。宮大工をはじめ、さまざまな専門職がそれぞれの技術を持ち寄って復元を進めてきた建物なのです。

木を加工するだけではない宮大工の仕事

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宮大工の仕事というと、木を切って建物を組み立てる姿を思い浮かべるかもしれません。実際には、墨付け、木材の加工、建方など、多くの工程があります。首里城公園の若手職人インタビューでは、柱の墨付け、建方、軒や屋根まわりの施工など、具体的な仕事が紹介されています。

  • 図面や資料を確認し、部材の寸法や位置を正確に読み取ります。
  • 木材の性質を見ながら、加工や組み立ての方法を判断します。
  • ほかの職人や現場の担当者と確認しながら、作業を進めます。
  • 一つひとつの部材を正確に納め、建物全体の仕上がりにつなげます。

奥野晃輔さんは、柱の墨付けから建方、軒や屋根の施工まで携わったと説明しています。また、上原翔悟さんが担当した『原寸型取り』も興味深い仕事です。実際の寸法を確認しながら部材の形を決める工程で、細かな確認と調整が求められます。

『沖縄の宮大工』だけではない!全国の職人が集まる現場

首里城正殿の復元現場には、沖縄県出身者だけでなく、全国各地から職人が集まりました。

その一人が大城翔太郎さんです。浦添市出身で沖縄県立沖縄工業高校で建築を学んだ後、神奈川県伊勢原市を拠点とする有限会社内田工務店に入り、関東周辺の社寺建築や文化財修理、茶室などの仕事を経験していました。首里城では西之廊下の責任者を務めるなど、これまでの経験を生かして復元に携わりました。

一方、小松優喜さんは福岡県出身。新潟県佐渡市の専門学校で伝統建築を学び、その後、佐賀県の会社で経験を積んだ宮大工です。首里城では、根太の割り付けや妻、茅負、木負、扇垂木などの仕事に携わりました。

首里城復元は 宮大工の技術を次の世代へ残す現場でもある

伝統建築では、図面や資料だけでは伝えにくい技術があります。木材の癖を見ながら加工することや、部材同士を納める感覚など、現場で経験しなければ身につきにくい技術も少なくありません。首里城正殿の復元では、若い職人たちも実際の現場に入り、経験を積んできました。

2026年5月の報道では、49人の宮大工のうち20代・30代が4割以上を占めることも紹介されています。山本信幸総棟梁は、復元工事の現場について、伝統建築を支える職人を育成する場として使いたかったという趣旨の発言をしています。

~総棟梁(とうりょう)を務め、平成初期の復元にも携わった山本信幸さん(68)は「平成を超える首里城を造りたいと臨んだ。あと数カ月、気を緩めずいきたい」と強調した。 ~

日本経済新聞

実際に上原さんも、現場で経験したことをこれからの世代に伝えていきたいと話しています。こうした技術継承は首里城だけの問題ではありません。文化庁も、文化財を守るための伝統技術について、後継者の育成や技術の向上、記録などを進めています。2020年には『伝統建築工匠の技・木造建造物を受け継ぐための伝統技術』がユネスコ無形文化遺産に登録されました。

これは宮大工だけを指すものではなく、建造物修理、木工、屋根葺き、彩色など、日本の伝統建築を支える17の選定保存技術からなるものです。

宮大工の歴史を知ると首里城の見方も変わる

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宮大工の歴史をたどると、近代の文化財保護とも深く関わってきたことが分かります。明治30年に古社寺保存法が成立すると、寺院や神社の建造物を保存するための修理が進められました。文化庁の資料によると、その修理現場では堂宮大工が棟梁として施工を担い、近世以来、職人たちが受け継いできた建築技術が用いられていました。

首里城にも、職人の技を後世へ伝えようとした歴史があります。1932年の首里城正殿の修理に携わった大工の知念朝永は、戦後の1953年から正殿の1/10模型を制作し、1958年に完成させました。この模型は、沖縄戦で失われた首里城正殿や沖縄の建築文化を後世に伝えるために制作されたものです。

現在の正殿を見るとき、目の前の建物だけでなく、技術や記憶を残してきた職人たちの歩みにも目を向けてみましょう。そうすることで、首里城の見方が少し変わってくるはずです。

完成した正殿を見るときは細部にも目を向けよう

首里城正殿は2026年11月22日に復元完成式が行われ、翌23日から一般公開される予定です。正殿を訪れたら、赤い建物の美しさだけでなく、柱、梁、軒、屋根などにも目を向けてみてください。普段は一つの建物として見てしまう部分にも、職人の仕事があります。細かな納まりや屋根まわりを見ながら、『この部分はどうやって組んだのだろう』と想像するのも楽しみ方の一つです。

なお、正殿内部の見学は事前予約制です。2026年11月23日から正殿内を見学でき、予約に空きがある場合は当日券が販売される場合もあります。

宮大工の技から見る首里城

私は沖縄に住んでいて、本土の神社や仏閣を見る機会があると、ついその造形美に目を奪われます。沖縄にはない建築様式や大きな木造建築を見ると、柱や梁、屋根の形までじっくり眺めたくなります。遠くから見ると一つの建物にしか見えなくても、近づいてみると、さまざまな部材が組み合わされていることに気付きます。

そして、その建物が長い年月を経ても残っていることを考えると、昔の職人の技術には驚かされます。今回、首里城正殿の復元に携わった宮大工について調べてみて、その感覚が少し変わりました。これまで首里城を見るときは、赤瓦や朱色の美しさ、龍などの装飾に目が向きがちでした。

しかし、その建物を支えているのは、目立つ装飾だけではありません。柱や梁、軒など、一見すると何気なく見える部分にも、職人が寸法を確かめ、木材を加工し、組み上げた仕事があります。

本土の神社や仏閣を見て『美しい建物だな』と感じるのと同じように、首里城でも建物そのものの造形に注目してみたいと思います。さらに、その形を実際の木材としてつくり上げた職人の技術まで想像すると、建物を見る楽しみが一段と深くなるように感じます。2026年に復元された首里城正殿を見るときは、全体の美しさだけでなく、細部にも目を向けてみたいものです。

『この形は、どのような技術でつくられたのだろう』と考えながら見ると、首里城がまた違った表情を見せてくれるのではないでしょうか。今回、宮大工の仕事を調べたことで、私自身も建物を見るときに、その技術や職人の仕事へ自然と目が向くようになりました。

まとめ

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首里城正殿の復元では、沖縄県出身者16人を含む延べ49人の宮大工が木工事に携わってきました。全国から集まった職人たちは、木材の加工や建方、屋根や軒まわりなどを担当し、若い職人も現場で経験を積みました。2026年11月23日の一般公開後は、正殿の美しさだけでなく、柱や軒など細部に残る職人の仕事にも注目してみると、首里城をより深く楽しめます。

あとがき

首里城の復元について調べていると、建物が完成するまでには、本当に多くの人の力が必要なのだと改めて感じました。完成した建物を見るだけでは分からないところに、職人たちが積み重ねてきた時間があります。

2026年に正殿が公開されたら、今度は完成した姿を自分の目で確かめてみたいと思います。何年後かにもう一度訪れたとき、今回とは違うところに目が向くのも楽しみです。

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