世界遺産の中城城跡は、かつて観覧車やクマやラクダまでいた驚きのレジャー施設でした。戦後の沖縄で私営遊園地として親しまれたこの場所は、時代の移り変わりと共に史跡保護区へと姿を変えました。当時の賑わいを知る世代には懐かしく、若い世代には新鮮な驚きを与える不思議な歴史がこのグスクには隠されています。本記事では、かつての中城城跡周辺に存在した動物や遊具の謎について詳しく解説します。
昭和の記憶!かつての中城城跡は私営の遊園地だった
現在の中城城跡は、琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産に登録されていますが、1950年代から1970年代にかけては、全く異なる運営形態を持っていました。
当時は「中城公園」という名称を使いながらも、実質的には民間の手によって運営されていた私営のレジャー施設としての側面が強かったのです。
戦後の沖縄において、人々に娯楽を提供するために作られたこの施設には、当時の子供たちが目を輝かせるような仕掛けが数多く用意されていました。
その代表格として、小規模ながらも存在した動物展示スペースや、スリルを味わえる遊戯機械の数々が挙げられます。県営化される以前のこの場所は、沖縄本島中部における娯楽の拠点として親しまれていた側面がありました。
- 現在の歴史保護区とは異なり、かつては村の組合で経営するが1955年個人経営の観光施設として再スタートした歴史があります。
- 中城城跡周辺という立地を活かし、地域住民や来園者を対象としたレジャー施設として運営されていました。
- 当時の沖縄では珍しかった観覧車などの遊具が設置され、大きな賑わいを見せていました。
かつての周辺エリアは、現在の静かな史跡からは想像もつかないほど、賑やかな音楽や動物の鳴き声に包まれた場所だったといいます。この私営時代の活動が、のちに語り継がれる「ラクダや遊園地」の原点となっているのではないでしょうか。
驚きの光景!園内にいたクマやラクダの飼育記録
中城城跡の意外な歴史を語る上で最も衝撃的なのが、かつてクマやラクダといった珍しい大型動物が園内で飼育されていたという事実です。
現代の史跡管理基準では考えにくいことですが、当時は城跡に隣接する一角に動物舎が設けられており、多くの来園者が間近で動物たちの姿を眺めていました。
また、クマも、鉄格子の檻の中で飼育されていました。沖縄の暑い気候の中でクマが暮らしていたというエピソードは、当時の大らかな時代背景を象徴しています。
~中城村護佐丸歴史資料図書館には、中城城趾公園関連の展示によると、1950年の開園後、動物園が形作られていった流れは以下のようになります。
1955年 1月 琉球政府文化財保護委員会により「中城公園」が史跡名勝重要文化財(建造物)に指定される。
1955年7月 中城公園の営業権が民間企業に譲渡される。
1956年5月 中城公園にキリン、ライオン、豹、クマ、狸、クジャクがやってくる。
1956年7月 普天間から「中城公園」を行き来する、中城公園線バスの運行が開始される。
中城公園にラクダがやってくる。
1957年6月 中城公園にゾウがやってくる。
~
かつての遊園地を彩った回転飛行機と観覧車
かつて園内で人気を集めた動物たちと肩を並べて、中城公園(城跡周辺)の大きな名物となっていたのが、遊園地です。そこには米軍払い下げの航空機の燃料タンクを改造して作られた回転飛行機など、ユニークな遊具が設置され、多くの人々に親しまれていたと考えられます。
その中でも観覧車は現代のような巨大なものではありませんでしたが、風を切って回る観覧車は、当時の沖縄において最先端のレジャーだったと考えられます。
沖縄アーカイブ研究所のサイトにある昔の8ミリ動画で、観覧車や回転飛行機を目にした瞬間、当時の情景が鮮やかに蘇り、懐かしさで胸が熱くなりました。
| かつて存在した主な設備 | 特徴・エピソード |
|---|---|
| 回転飛行機 | 燃料タンクを改造したユニークな遊具。 |
| 観覧車 | 小規模ながら、当時としては珍しい遊具。 |
~沖繩県の行楽地として1950年にオープンした遊園地の第一号、中城城跡の公園の映像です。1960年後半から70年までの時期だと思われます。城壁の前の広場には様々な遊具が設置され、今では考えられない光景が広がっていました。~
なぜ姿を変えたのか?レジャー施設から史跡保護区への転換
当時、私営で運営されていた施設は、1992年に公有化事業になり経営主体の変更に伴い、管理が中城村と北中城村になり「史跡保護区」として生まれ変わることになりました。
公共の公園や史跡として整備されることは、誰もが安全に利用できる場所になると同時に、沖縄の誇るべき大切な文化財を未来に向けて保護し継承していく場所になることをも意味しているのではないでしょうか。
そのため、2000年に達成された世界遺産登録という大きな目標に向けて、本来の歴史的な景観を丁寧に取り戻していく復元作業がさらに加速されることとなりました。
- 1955年以降:民間業者によるレジャー施設として、動物園や遊園地としての機能が充実しておりました。
- 現在:世界遺産としての価値を未来へ繋ぐ歴史教育の場として、現在は完全に再定義されております。
この変化は、時代のニーズに合わせたアップデートではないかと考えられます。かつての「スリルと見世物」の場所から、現在の「歴史と文化を学ぶ」場所への転換は、世界的な文化財保護の観点から自然な流れであったといえるでしょう。
しかし、当時の賑わいを知る世代と知らない世代との間では、あまりの劇的な変化ゆえに中城城跡のイメージに大きなギャップが生まれることとなったのです。
現代の中城城跡!伝説を語り継ぐ憩いの場
現在の中城城跡に足を運ぶと、かつてのラクダや遊園地の姿はありません。代わりに目に入るのは、護佐丸が築いたとされる美しい曲線を描く城壁や、広大な芝生で歴史に思いを馳せる観光客の姿です。
かつての「私営レジャーランド」としての賑やかな記憶は、今や地域の高齢者や、当時を懐かしむ親世代の心豊かな思い出の中に、色褪せることなく大切に保管されています。
しかし、中城城跡の魅力が失われたわけではありません。むしろ、世界遺産として認められたことで、県内屈指の歴史観光スポットとして、国内外から多くの人々が訪れる場所となりました。
もしあなたが中城城跡を訪れる機会があれば、当時の技術が光る精巧な石積みを眺めながら、ふと周囲の起伏に富んだ地形にも目を向けてみてください。当時の人々の知恵が見えてくるかもしれません。
そこには、かつて遊園地、ラクダがのんびりと歩いていた不思議な時代の面影が、風の中に溶け込んでいるかもしれません。中城城跡は、沖縄の戦後レジャー史と琉球の歴史が交差する、唯一無二の場所なのです。
まとめ
かつての中城城跡は、ラクダやクマが飼育され観覧車も設置された、驚きの民間運営レジャー施設でした。現在は世界遺産として美しく整備されていますが、その意外な過去を知ることで今の風景もより深く見えてきます。
かつての遊園地のような賑わいと現在の穏やかな歴史情緒は、どちらも沖縄が歩んできた大切な記憶の一部です。本記事を参考に当時の面影を想像しながら、歴史とロマンが交差する今の中城城跡をゆっくりと歩いてみてください。
あとがき
私自身、幼稚園の遠足で行った記憶が有り、飛行機に触れたりクマを見た思い出があります。世界遺産・中城城跡にラクダや遊園地があったという歴史は、まるで時を越えたおとぎ話のようです。
次に訪れる際は足元の地形に目を向け、かつての鮮やかな情景を想像の翼で補完してみてください。歴史とは単なる記録ではなく、人々の「楽しみ」が積み重なってできた大切な物語なのです。


コメント