うるま市海中道路の歴史と魅力!かつては海を歩いて渡っていた?

沖縄県うるま市にある「海中道路」は、青い海を貫く全長約4.7キロメートルのドライブコースとして有名です。今では車で快適に移動できますが、かつて周辺の島に住む人々は、命がけで海を渡っていました。この記事では、平安座島と本島を繋ぐ壮大な物語や、アメリカの石油会社が関わった建設の背景、現在の観光の魅力について詳しくご紹介します。

かつての命がけの渡海!歩いて渡った平安座島と本島の絆

現在は誰もが快適なドライブコースとして気軽に車で走り抜ける海中道路ですが、この道が完成する以前の時代には、現代人には想像も及ばないほどの過酷な苦労とドラマがありました。

特に平安座島に暮らす人々にとって、対岸の沖縄本島へと向かう移動は日常的な困難を極めており、時には着衣のまま海の中を歩くという光景も決して珍しいことではありませんでした。

この海域は非常に潮の流れが速い場所も点在しており、重い食料品や日々の生活に欠かせない物資を抱えながら海を渡るのは、まさに一歩間違えれば命を落としかねない命がけの作業だったのです。

もちろん、常に荒波の中を歩いていたわけではなく、当時の島民たちは月の満ち欠けによって変化する自然のサイクルを熟知し、それを最大限に生活の知恵として活用しながら海と向き合っていました。

潮が引く干潮時になると、今まで青く揺らめいていた海面が静かに下がり、隠れていた広大な浅瀬がゆっくりとその姿を現します。

島の人々はこのわずかな自然の好機を逃さず利用して、着物の裾をまくり上げながら浅瀬を歩いて対岸の本島へと向かったのです。

その足元には美しいサンゴ礁や白い砂地がどこまでも広がっており、彼らはまさに広大な海そのものを生活の道として、たくましく利用し続けていた歴史があります。

こうした不便な生活を解消したいという島民の切実な願いが、海中道路建設の大きな原動力となりました。自然の厳しさと共存しながらも、対岸とのつながりを求めた歴史が、今の美しい景色へとつながっています。

~約5kmの『海中道路』は、離島文化の懸け橋であり、与那城村(現うるま市)の世開けの道路として、島民をはじめ、各種関係者の協力の下、開通しました。
令和の現在では、うるま市島しょ地域住民の生活道路として、また、うるま市の一大観光スポットとして、知られています。

うるま市役所

奇跡の建設!アメリカ・ガルフ社と島民の情熱が動かした歴史

海中道路の建設には、一企業と地元住民の強い結びつきがありました。1968年、アメリカの石油大手ガルフ社(現・シェブロン)が、平安座島に石油備蓄基地を建設することを決定しました。これが大きな転換点となり、島民は基地を受け入れる条件として、本島との道路建設を強く要望しました。

ガルフ社はこの要望に応え、1971年に工事を着工しました。当初、これほど長い道を海の上に作ることは技術的にも資金的にも困難だと言われていました。

平安座島に石油備蓄基地(CTS)を建設するのに伴い、米国の石油会社「ガルフ社」の資金提供によって、1971(昭和46)年5月に着工しました。翌年に、2車線の道路として開通しました。1972年に開通した当初は、現在のような豪華な4車線ではなく、シンプルな2車線の道路でした。

それでも、島の人々にとっては「干潮の海の上を歩かなくていい」という、夢のような変化だったのです。この道路の誕生は、離島の生活を劇的に変える歴史的瞬間となりました。

ドライブだけじゃない!海中道路のスペックと現在の姿

現在の海中道路は、1999年に4車線化が完了し、非常に快適な道路となっています。勝連半島と平安座島を結ぶこの道は、単なる移動手段を超えた観光名所です。道路の途中には、マーラン船を模した船の形をしたユニークな建物「海の駅 あやはし館」があり、多くの休憩客で賑わいます。

この道路の特徴は、橋ではなく堤防状の構造である点です。海を埋め立てるような形で道が作られているため、視界が非常に広く、左右にエメラルドグリーンの海を眺めながら走ることができます。

項目 詳細情報
全長 約4.7キロメートル
所在地 沖縄県うるま市(県道10号線)
接続島 平安座島・浜比嘉島・宮城島・伊計島
着工年 1971年(ガルフ社による)

現在では観光客だけでなく、地元の人々のウォーキングやサイクリングコースとしても愛されています。また、ウィンドサーフィンやパラセーリングなどのマリンスポーツが盛んなエリアとしても知られており、カラフルな帆が海に浮かぶ光景も楽しめます。

四つの島へ続く架け橋!宮城島まで広がる観光ルート

海中道路を渡った先には、魅力的な四つの島が待っています。平安座島を起点に、浜比嘉島、宮城島、そして一番奥にある伊計島へと道が続いています。

宮城島には、有名な塩工場「ぬちまーす観光製塩ファクトリー」や、絶景ポイントとして名高い「果報バンタ(幸せの岬)」があります。

ここから見下ろす海は透明度が高く、かつて島民が歩いて渡った浅瀬の名残を感じることができます。歴史を知ってから見る景色は、また格別です。

  • 浜比嘉島は神様が住む島として知られるパワースポットです。
  • 宮城島は標高が高く、ダイナミックな海岸線の景色を楽しめます。
  • 伊計島は美しいビーチが広がり、透明な海での海水浴が人気です。

どの島も独自の文化や豊かな自然が残っており、海中道路を起点にした島めぐりは、沖縄観光の定番コースのひとつとして親しまれています。

未来へ繋ぐ海中の道!うるま市が誇る宝物

海中道路という一本の道が完成したことにより、これまで海に隔てられていた島々の日常生活は、劇的な安定を見せることとなりました。その結果、緊急時の医療体制の確保や教育環境の整備、さらには流通の活性化による経済面においても、計り知れないほど大きな恩恵がもたらされています。

かつて周辺住民から「離島苦(しまちゃび)」と表現されるほど不便だったこの地は、現在では「橋でつながる観光拠点」として目覚ましい進化を遂げており、県内外から多くの人々が訪れる人気のエリアとなりました。

この美しい道は、過酷な自然環境に屈することなく道を求め続けた島民の不屈の精神と、その想いに応えた企業の協力によって生み出された、まさに時代を超えた強い絆の象徴のような存在といえるかもしれません。

今日においては、この絶景を舞台に毎年「あやはし海中ロードレース」という大規模なマラソン大会が開催されるなど、スポーツを通じて地域を盛り上げる活性化の舞台にもなっています。

かつては移動手段だった場所が、今では人々が健康的に汗を流し、楽しみを共有する場へと変わりつつあり、地域の魅力を発信する重要な拠点としての役割を担っているようにも見受けられます。

見渡す限りの青い海を眺めながら颯爽と駆け抜けていくランナーたちの晴れやかな姿は、かつて荒波を恐れず命がけで海を渡っていた先祖たちの目には、到底想像もできなかったような、この上なく平和で活気にあふれた美しい風景に映っていることでしょう。

時代の移り変わりとともに、海を渡る苦労は喜びへと変化し、この場所には常に新しい笑顔が絶えることなく溢れ続けているように感じられます。

このかけがえのない美しい海と、人々の熱い想いが凝縮された重厚な歴史を、正しく次世代へと語り継いでいくことこそが、海中道路という素晴らしい場所を訪れる私たち一人ひとりに課せられた大切な使命なのかもしれません。

沖縄の歴史を肌で感じながら、潮風とともにゆっくりとこの道を走ってみることを、心からおすすめいたします。うるま市が誇る海中道路は、単なる写真映えを狙った「映えるスポット」というだけの存在ではありません。

周囲の海域には、島を守り抜き、より良い未来を自らの手で切り拓こうと奮闘した名もなき人々の、熱い人間ドラマが今もなお深く刻み込まれています。歴史の断片が、この道のいたるところに息づいているのを感じ取ることができるはずです。

次にあなたがこの道を渡るときは、ぜひ車を止めて、静かに干潮の海を見つめてみてください。潮が引き、かつての人々が歩いたであろう浅瀬が姿を現したとき、そこを懸命に歩いた島民たちの確かな足跡や、海とともに生きた力強い鼓動が、現代を生きる私たちの目にもうっすらと浮かび上がってくるかもしれません。

まとめ

うるま市の海中道路は、かつて島民が干潮時に歩いて渡った不便を解消するため作られました。1971年に米ガルフ社の協力で建設が始まり、今では全長約4.7kmの美しい4車線道路として、多くの人を魅了しています。

四つの島を繋ぐ重要な道であり、絶景ドライブやマリンスポーツの拠点です。歴史を知れば青い海の景色もより深く心に響くはずです。ぜひ歴史と自然が交差するこの場所を訪れてみてください。

あとがき

ドライブで親しんだ絶景が、島民の命がけの願いで生まれた歴史に胸が熱くなります。かつて浅瀬を歩いた苦労を思うと、窓の外の海も今までとは違う深い色に見えました。

ガルフ社の協力や先人の情熱が、道の一本一本に刻まれているような気がしてなりません。皆さんもぜひ車を降りて風を感じ、島を愛した人々の足跡を波音の中に探してみてください。

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