なぜ沖縄県民は世界へ移住したのか?海外移民の歴史

地元住民・地域コミュニティ
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沖縄から海を渡り、海外で暮らす道を選んだ人々がいます。1899年、ハワイへ向かった移民を出発点に、沖縄県出身者の移住先は北米や南米などへ広がりました。その背景には、当時の厳しい経済状況や社会の変化、そして家族の暮らしを支えたいという思いがありました。移住した人々は、海外で生活の基盤を築くだけでなく、故郷への送金や戦後の支援を通じて沖縄ともつながり続けました。本記事では、沖縄県民が海外へ移住した背景と、その後も受け継がれてきたウチナーネットワークの歴史をたどります。

ハワイへの渡航から沖縄の海外移民が始まった

沖縄県から初めての海外集団移民が出発したのは、1899年(明治32年)12月5日のことです。沖縄県公文書館によると、當山久三氏の斡旋により、移民たちは那覇港を出発し、横浜港から船でハワイへ向かいました。翌1900年1月8日にホノルルへ到着し、そのうち26人がオアフ島のサトウキビ耕地で契約移民として働き始めました。

当時、沖縄では現金収入を得る機会が限られ、生活を支えるために県外や海外へ働きに出る人がいました。海外移民は、遠い土地で仕事を得ることで、自分自身や家族の暮らしを支えようとする選択肢の一つだったのです。ただし、移住の理由は一人ひとり異なり、経済的な事情だけですべてを説明できるわけではありません。

移民の送り出しには、當山久三氏のように渡航を支援する人々の存在もありました。最初の集団移民の後、1903年には第2回ハワイ移民40人が渡航し、同じ年にはアメリカ本土へも51人が渡っています。こうして海外移民が広がりました。

当時の移民は、今のように気軽な海外旅行をするために海を渡ったわけではありません。住み慣れた土地や家族を離れ、言葉や生活習慣が異なる場所で働くことには、大きな負担もあったはずです。それでも海を渡った人々の歩みが、後に世界各地へ広がる沖縄出身者のネットワークにつながっていきます。

  • 渡航費用の準備:海外へ渡るための費用を工面する必要がありました。
  • 契約や渡航手続き:移民取扱人との契約など、渡航に向けた準備が必要でした。
  • 現地での労働:ハワイのサトウキビ農園では、監督者の厳しい監視下で働いていました。

移住の背景に経済状況と社会の変化があった

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明治時代の沖縄では、仕事や収入を求めて県外や海外へ渡る人々がいました。海外移民も、そうした選択肢の一つでした。遠く離れた土地で働くことは、移住する本人にとって大きな決断でしたが、沖縄に残る家族の暮らしを支える手段にもなりました。海外で得た収入は、移住した本人だけでなく、沖縄に残る家族の生活にも大きく関わっていました。

外務省の資料では、海外移民から家族らへの送金は、当時の県歳入と比べて6割以上に相当する規模に達した時期がありました。1899年から1938年までの移住者数は72,134人とされています。一方、1940年当時の沖縄県人口は574,579人でした。移住者数は複数年にわたる累計で、人口は特定時点の数字です。

単純に同じ時点の人口に対する割合とはいえませんが、海外移民が沖縄社会にとって大きな動きだったことがうかがえます。

【海外移民が沖縄とのつながりを支えたもの】

つながり 沖縄との関わり
① 家族への送金 海外で得た収入を故郷へ送り、沖縄に残る家族の暮らしを支えた
② 戦後の救援活動 海外の沖縄出身者やその家族が、物資の提供などを通じて戦後の沖縄を支援した
③ 県人会での交流 同じ沖縄にルーツを持つ人々が集まり、交流や助け合い、故郷とのつながりを保つ場となった
④ 文化やルーツの継承 芸能や食文化、地域行事などを通じて、沖縄にゆかりのある文化が次の世代へ伝えられた
⑤ 世界のウチナーンチュとの交流 沖縄と海外の県系人が交流し、世代や居住地を越えたつながりを確かめる機会が生まれた

POINT: 海外移民の歩みは、沖縄を離れた後も続く故郷とのつながりと、世界へ広がるウチナーネットワークを築いてきました。

移住先は北米から南米へ!そして戦後にも続いた

沖縄からの移住先は、ハワイだけにとどまりませんでした。1903年にはアメリカ本土への移住も始まり、その後、北米や南米などへと広がっていきます。移住先が増えた背景には、仕事を求める人々の動きに加え、各地の社会情勢も関係していました。

沖縄県の公式解説によると、1923年ごろからアメリカやカナダで日本人を排斥する動きが強まったため、沖縄からの移民は南米を中心とするようになり、ブラジルやペルーなどへ多くの人が渡りました。移住先は、本人や家族の事情だけでなく、受け入れ側の制度や社会状況によっても左右されていたのです。

海外移民の歴史は、戦後も続きます。1948年には、戦後初の移民33人がアルゼンチンへ渡りました。また、1954年からはボリビアへの計画移民も進められました。敗戦後の沖縄では、戦争による被害や生活基盤の損失など、厳しい状況が続いていました。こうした中での移住には、戦前とは異なる時代背景もありました。

一方、海外に暮らす沖縄出身者やその家族は、戦後の沖縄に食料品、日用品、医薬品などの救援物資を送る活動にも関わりました。移住先で築かれた人々のつながりは、故郷を支える力にもなったのです。移住は沖縄を離れることだけを意味するのではなく、遠くから沖縄と関わり続ける歩みでもありました。

海外へ渡った人々が沖縄とのつながりを支えた

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海外へ移住した人々は、移住先で生活を築くと同時に、沖縄とのつながりも保ってきました。その一つが、各地に設立された県人会です。同じ沖縄にルーツを持つ人々が集まり、交流や助け合いを続ける場は、故郷とのつながりを感じる機会にもなりました。沖縄県は、県人会が絆を深め、アイデンティティを受け継ぐうえで大切な役割を果たしてきたと紹介しています。

海外に渡った人々とその子孫は、移住先の社会で暮らしながら、沖縄の文化や習慣を伝えてきました。世代が変われば、沖縄で暮らした経験がない人もいます。それでも、家族から聞いた話や地域の行事、芸能、食文化などを通じて、自分たちのルーツに触れる機会が生まれてきました。

沖縄県は、2016年度の調査に基づき、海外には沖縄県出身者やその子孫にあたる県系人が約42万人いると紹介しています。1990年には、海外に住む沖縄出身者やその家族を沖縄に招く『世界のウチナーンチュ大会』が初めて開催されました。海外の県系人と沖縄の人々が交流し、互いのつながりを確かめる機会として続いています。

そして2016年の第6回大会の閉会式では、10月30日が『世界のウチナーンチュの日』と定められました。この日は、海外移民の歴史を振り返るだけの日ではありません。世界各地に暮らす県系人と沖縄のつながりを受け継ぎ、次の世代へとつないでいくことにも意味があります。移住した人々の歩みは、沖縄を離れた後も故郷との関係が続いてきたことを伝えています。

~「世界のウチナーンチュ大会」は、本県の貴重な人的財産である世界各地のウチナーンチュが、5年に一度母県である沖縄に集い、そのルーツやアイデンティティーを確認するとともに、県民との交流を通してウチナーネットワークを拡大・発展させ、次世代へと継承していくことを目的としています。 ~

沖縄県 文化観光スポーツ部 交流推進課

先達が切り拓いた世界への道

私がこの記事を執筆するにあたって、沖縄の海外移民の歴史を調べると、先人たちがいかに広い世界を見据えていたかに驚かされます。故郷を離れ、海の向こうに活路を求めることは、今では想像しにくいほど大きな挑戦だったはずです。

行き先の暮らしも、仕事も、将来も、すべてが確かなものではなかったでしょう。それでも、目の前の困難に屈することなく、異国の地で生きる道を切り開いていきました。

その姿には、苦しい状況にあっても可能性を見いだそうとする、沖縄の人々の強さが表れています。しかも、海外へ渡った人々の歩みは、自分自身の生活を築くことだけでは終わりませんでした。
故郷の家族を支え、遠く離れた沖縄とのつながりを保ち続けた人々もいました。異国での苦労を乗り越えながら、故郷を思い、次の世代へと道をつないできたのです。

私は、この歴史を単に『海外へ移住した人々の記録』と捉えるだけでは不十分だと思います。そこには、時代の厳しさに立ち向かい、自らの力で未来を切り開いた人々の生き方があります。世界へ目を向け、未知の環境に飛び込んだ先人たちの決断は、今を生きる私たちにも多くのことを問いかけます。

困難を前にしても可能性を探し、行動すること。その積み重ねが、今日の世界に広がるウチナーンチュのつながりを築いてきました。沖縄から世界へ踏み出し、苦難の中を生き抜いた先人たちの気概と功績を、私は心から誇りに思います。

まとめ

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沖縄の海外移民は、1899年のハワイへの渡航を出発点に、時代ごとの経済状況や社会の変化を背景として世界各地へ広がりました。移住した人々は、送金や戦後の支援、県人会や文化交流を通じて故郷とのつながりを保ってきました。

海外移民の歴史を知ることは、世界各地で暮らすウチナーンチュと沖縄の関係、そして受け継がれてきた絆を見つめ直すことにもつながります。

あとがき

沖縄の歴史をたどると、海は人々を隔てるだけでなく、新しい土地や人との出会いにもつながってきました。海外移民の子孫が沖縄を訪れ、自分のルーツに触れることもあります。生まれ育った場所が違っても、沖縄を共通点に世代を越えた交流が生まれます。

海外移民の歴史は、今の沖縄と世界のつながりを考える手がかりです。遠い国で暮らすウチナーンチュに思いを巡らせ、沖縄の歴史を改めて見つめてみてはいかがでしょうか。

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